上田洋平
スサナルの杜人(微生物培養師)
わたしにとって微生物とは、わたし自身であり、奉仕する対象でもあります。
微生物は、わたしたちや、あらゆるいのちの生命活動の下地として存在しています。
微生物の働きがあってこそ、この世界の営みが成り立っています。
個としては微細ですが、全てを生かす全体性そのものです。
その働きの奥にある神性を感じざるを得ません。
わたしは、森羅万象に対しての感謝と敬意を礎に、
わたしたちと私たちの世界に対して、わたしたち自身が誇りを持ち、
あらゆるいのちが繁栄し、そのいのちを謳歌する世界の創造を意図しています。
今、世界に散見する諸問題。
農作物のエネルギーの低下。
精神不安定、アトピー、アレルギー、シックハウス、空気汚染、海洋汚染、放射能汚染、
あらゆる化学物質による影響。
微生物はこの全てに貢献出来ます。
上記のことは、問題解決でしかないですが、
人類が微生物の存在を認識して、理解して、
それを生かすことができるだけの精神性が育てば、
途方もない可能性、創造性を秘めていると思っています。
「ヒトがこの地球を繁栄に導く要である。」
微生物を通して実感できます。
それが、わたしたちがもっとも貢献できることです。
わたしは微生物を通じて取り組みに多くの人を巻き込みたいと思っています。
地球のことは、わたしたち一人一人のことだからです。
スサナルに関わるヒトたちは、どこまでも生命として美しく存在して欲しいです。
自分自身のいのちを謳歌する。
それは、わたしたちが「素に還りゆく。」ということかも知れません。
あらゆる生命活動の下地として存在している微生物。
全ての産業の土台となる一次産業。
その下地を見失っていた/見失わせてきた戦後の一次産業。
足元の元を見直すこの時期に、
微生物の働きを理解せずに前に進むのはもう限界があります。
「持続可能な社会を目指す。」という標語が象徴しています。
では、その持続可能か不可能かの指標は?と問われても、
シンプルに明確に答えられる人はほとんどいません。
「微生物が人類の活動の負荷を受け止められる許容範囲を超えているか否か。」
わたしたちは微生物が一つの指標と考えます。
スサナルを通して、今、微生物を活性化させれば、持続可能な社会に貢献できる。
わたしたちがスサナルを活用する理由です。
そして何よりも、今、この世界には、いのちの純粋な創造性が必要です。
「他の誰でもないわたしたち一人一人が
この世界のクリエイターであることを思い出すこと。」
微生物の世界に触れて、わたしは実感しています。
微生物の世界に触れていると、わたしたち一人一人が
この世界のクリエイターであると、実感していきます。
世界は今、腐敗と醗酵の分岐点です。
わたしたちはスサナルを通じて
醗酵の世界を創造したいと考えています。
プロフィール
1978年
鹿児島出身。幼少期から自然に親しむ。高卒後3年を経て大学進学で上京。勤めに出るイメージが持てず、飲食店のアルバイト等を経験したのち、やりたいことを探す旅に出る。
2007年
都会の中で人の集いや『日々喜』という祭りを企画するなど、精力的に活動。人は自分のワクワクすること、安心安全な場でのびのびと表現すると全てが上手くいって、みんなが心地よいことを体感する。
2009年
都会での活動に限界を感じ、仲間との分離に傷ついていた頃、自然派の女性と出会う。東京とは真逆の自然を体感したいと感じ、日本各地を旅した末、屋久島へ。屋久島では日本の美しい景色、本来の地球の美しさの凝縮に感銘を受ける。
2011年3月11日
東日本大震災時、福島第一原発爆発の映像を見て「微生物で゙解決出来る。」という直感を得るものの、この時は具体化せず。
2012年
仕事や周囲との人間関係がうまく行かず、女性とも別れ、屋久島を後にする。友人の紹介で、自分、他者、世界のことを意識の仕組みの在り方を学ぶ機会に参加。自分を変えることで世界を変える、自分の在り方で世界を変える、という学びの中で、自分のことを見つめ直す。
2014年
食生活、ガイド、清掃、エネルギーワーク、様々な仕事を渡り歩きながら、自分と世の中について学ぶ。世の中に疑問を抱きつつ、自分には何ができるか探し歩く。引っ越し回数は20回以上に。
2015年
友人を頼りに淡路島へ訪れたら、あっという間に移住することに。淡路島は古事記に代表される国生みの島と呼ばれる島。自分の描く願いが効率よく機能できるか考えたら淡路島なのでは、と直感。
淡路島での初めの4年間は、「あらゆるいのちが繁栄する営みの創造をしたい」という意図のみ。「では、どうしたらいいのか?」自分では全然わからずにいた。酸化と還元、電子や原子、ミクロの世界について教えてくれる人と出会い、学び、いろんな体験をしながら待っていた。
玉ねぎの従来農法、工場や牛の世話などから、現代の第一次産業を学ばせていただく。
玉ねぎの収穫で大地に跪いた時、屋久島にて肥沃で気持ちの良いエネルギーの大地を知る自分からしたら、化学肥料と農薬で育った玉ねぎは見た目は立派だけど、大地は枯れていた。本当だったら、いのち豊かなはずの大地がこんなにも枯れて、疲れている。病気も流行りやすい。体感して「ああ、僕は微生物をやらなきゃな」と決意する。
2018年、玉ねぎの栽培開始。「地球家族」の故人・河合勝氏から微生物の培養方法を教わり、玉ねぎの栽培期間中から微生物醗酵液を取り入れ始めた。微生物培養の許可を得て、大地を蘇生する働きを持った植物の微生物を集め、微生物醗酵液を培養開始する。
2019年、微生物醗酵液に古代の要素が入ったときに、直感的に完成を感じた。
微生物醗酵液を畑に入れたり、風呂に入れたり、飲用したりと実験を重ねる。
玉ねぎを収穫したが、売り先がなく。たくさんの方々の手を借り、ハイエースに玉ねぎ600キロ積み、全国各地に手売りする「玉ねぎキャラバン」を実行。
2019年8月8日、微生物醗酵液は「スサナル」と命名される。
以後、微生物醗酵液を活用した土地の蘇生、農業、衣類、建築など、試行錯誤を重ねながら、現在の活動に至る。6児の父。